最近気になること

2012/07/30 震災後 津波シェルタについて考えてきた。

 

日本の周囲は全て海だ。総延長は約3km、 これを従来のように防潮堤を築くのは不可能だ。低地を全てかさ上げするのもそうだが住民を全て高台に移住させるのも不可能だろう。日本のような国はリスク を覚悟しつつ住み続けるには工夫が必要だ。海で仕事をするには海岸近くに住まなくても、事務所は必要だ。地震が起きたらすぐに高台へ避難する。高台への避 難は迅速にするため避難路を整備し誰でもが容易にのがれられるようにする。
近くに高台が無い場合は人工の避難場所を設けるべきだ。

2012/01/28 介護予防の薦め(介護予防リーダーとは)
私が最初にこの言葉を聞いた時は意味がよく解らなかった。
介護を予防するとはどういう事か、官製の言葉には良くある事だが4文字熟語で日本語になっていない。
厚労省のマニュアルには
介護予防とは「要介護状態の発生をできる限り防ぐ(遅らせる)こと、そして要介護状態にあってもその悪化をできる限り防ぐこと」と定義される。
とある。
高 齢者が要介護状態になった時には介護保険によって支援されるがこの制度が始まったのが2000年で40歳以上に納付義務がある。被保険者と雇用者、国や地 方の負担もある。少子高齢化で現状のような状態が推移すると介護保険も破綻する。そのために国等の行政は緊急対策としてあらゆる方法をとろうとしている、 その一つが地域の介護予防リーダーという名のボランティア養成だ。乗せられた感じの講習ではあったが実際にはとても必要な事であるし、自分自身が介護状態 にならないようにと自分のための道具を考える事から福祉用具をデザインしようとしたのだから、予めそうならないようにすることももっと重要かもしれないと 思った次第。地域を深く知る事により状況はかなり深刻であり、今度の震災に於いてももいざとなると頼れるのは自分と周囲が主である事に気がついたはずだ。 動けなくなってから考えるのでは遅い、今からその対策をしてトレーニングをしましょうと呼び掛けたい。今まではハード面で考えていたがソフト面も重視しよ うと思う。
約3ヶ月の講習を受け自分が何が出来るか、何をやるかを論文形式にして発表し、決意を語る。地域の問題点を解決するためのアイデアをこれから試行錯誤して試してみたい。以下はそのスタートの弁です。
介護予防

2011/07/16 大震災から4ヶ月 自立するための復興を考えたい。
3.11以後
震災以来4ヶ月が経ってしまったがいまだ気持ちが切り替えられない。この日を境に変わらざるを得なくなったものが多い。それは何だろう。少しづつ整理して前に進もう。
(1) 日本の条件の再認識
日本に住む事の意味を考えるようになった。改めて日本は自然災害の多い国だと思う。此処を生まれた国と思わずに客観的に見た時どう映るか?
(2)  グローバル化と出稼ぎ
日本で生きていくことを考える。これは地方で生きていくことと同じ意味を持っているのではないのか?
(3)気付かされた事
世の中のことはそれぞれが自分がやることだけに責任を持てば良いと思わされてきた、自分に直接関係のあることしか関心を持たなくても良いかのように思わされてきたのではないのか?

(1)日本の条件の再認識
2000 年に三宅島で噴火があって全島避難した、海の中に首を出した火山島に住むリスクをどのように考えているのだろうと思った記憶がある。 今外国の人は日本を どのように見ているのだろう、此処を生まれた国と思わず客観的に見たときどう映るか? 日本に住んでいる事に何の疑問も抱かず、ずっと住み続けるであろうと思っていた。否、それを当たり前と思い、外国に住む選択肢があるとはほとんど考えていなかった。それが今回自然災害にまともに向かい合い、また日本人の 思考方法そのものの結果であろう原発事故でいやでも考え直さざるを得なくなった。

日本人は日本に住まなければいけないのか? 日本人だから当たり前だと いうのでは思考停止になってしまう。
 日本は木と紙の文化と言う、西欧の石の文化に比して日本は損な国だと思っていた。地震があるため石積み建築 は発展できなかったのかもしれない。 日本は木造建造物が多く、戦ばかりでなく火事や地震で多くが消失し、富の蓄積ができない。いつまでも貧しいままになってしまう。 伊勢神宮の式年遷宮に象徴されるように、すべてご破算の世界だ。  石の文化は積み重ねの文化で、常に前の時代を下敷きにできる。残っているものが強烈な場合邪魔になる事さえある。日本で石の建造物と言えば城の石垣くらい か、石橋は数えられるほどだ。気質は常にご破算を強いられる地政学的な面に強く影響されているのではないか?

改めて日本、日本人の特徴は
まずはやや肯定的に
(1)自然が綺麗で豊か、四季があり変化に富んでいて景色が良い。
(2)気候も比較的温暖である、極端に寒かったり暑かったりしない。
(3)人々の気質が穏やかで人情味にあふれている。
(4)農耕民族であり共同生活を重視するため協調性に富む。
(5)早くから稲作が盛んで単位面積あたりの生存可能人数が多い。(人口が多い)
(6)人種的には南方系に大陸(モンゴル)系が混じり性格的には複雑だが精神的には仏教的というよりは儒教精神の影響が強いかもしれない。
(7)高い応用技術力を持っている。改良策は良く考える。

やや否定的に
(1)自然災害が多い。(地震、火山の噴火、台風、河川の洪水、土砂崩れ)
(2)森林山地が多く平地が少ない、住宅地、農地が限られる。
(3)鎖国が長く近代化が遅れたつけは大きい、いまだに政治体制が弱い。
(4)人口は減少気味、GDP等成長は頭打ち。
(5)漢字圏であり英語ベースのIT化、グローバル化に不利、共通語の修得が必須。
(6)飽きやすい、こらえ性が無い、すぐに諦める
(7)他人の成功をうらやむ(他人の足を引っ張る)横並び重視
(8)物価が高い。(円高がすべてのコスト高に影響?)
(9)食料自給率が低い(事が問題か?)
(10)独創性に欠ける。

『住めば都』という言葉がある、どんな辺鄙な土地でも住み続ければ良く思えるようになるというほどの意味か?これは裏返せばどんな土地にも固執する必要が無いともとれる。

結 論はそこに対する愛着等が住み続けるリスクや不具合に勝って、それらを軽減し、改善しようと思えるかどうかであろう。故郷と思える場所がある人が多いが生 活のために一旦離れて、また戻れる事になった時どうだろうか?私はどうか、現在は故郷を離れているし仕事につれ住処を転々とした。この先移動する事がないとは言えない、それが外国であるとは少し考え難いがない事ではない。

(2) グローバル化と出稼ぎ
東北地方の工場が被災し、稼働しなくなって世界中で工場が停止してしまったという事実。グローバル化の現実を誰もが認識し、その対応を考慮しながらもなぜか誇らしく思ったのではないだろうか。誰もが、どんな工場もグローバル化に無縁ではないと実感した。
しかし実は国内に残っている工場は特殊な部品や特別な製法か、あるいは納期や対応方法を工夫している、またはシェアや規模が世界でも1〜2位であったりすることがその存在理由になっている。

東 北地方は昔は出稼ぎの多いところだった。主な理由は冬場の現金収入だ。特に雪の多い地域では外へ出ての仕事がなくなる。農業主体の生活基盤では仕方の無い事だった。国全体で工業化が進むと工業用地と労働力を求めて地方へ工場が進出し、集約化を求めて工業団地が建設されるようになった。農家の余剰人口が地方 で工場勤務し人口流出が抑えられ、地方も税金収入が増えた。コストと労働力は密接な関係がある。生産工場の場合人件費は即生産コストに結びつく。低労働コ ストを求めて日本の地方へ移った工場は更に低コストを求めて海外へ移った。

日本に工場がある場合にも低労働コストを求めて様々な工夫をする
(1)パートタイマーという雇い方(たとえ熟練してても勤務体系はパート)
(2)外国人労働者(含む技術研修生)
(3)派遣社員、請負社員制度の利用
*しかしこれらは企業としては国内に存在するが従業員が日本の物価に見合った生活が出来ない。

結論として日本の企業として 製造業で考えると
日本人の従業員として日本で働かない限り生活していけない。
コ ストのために海外へ生産工場を移すということは 全員が海外へ行けるわけではないし、管理者ですら現地スタッフ教育後は難しい。現地採用という手もあるが現地で生活できる給料しかもらえない、従って日本で暮らしている家族に仕送りはできない、出稼ぎにはならないのだ。家族で生活費の安い現地に移住するということも考えられないことではないが。日本に工場 を置く限り、より付加価値の高い商品を生み出さなければならない。此処では安いものをたくさん作るという発想はやめるべきだ、基本的には此処でしか作れな いものを作るということ、地域毎に独自性のあるブランド商品を育てるべきでそういう意味でグローバル化が必要である。
私としては日本の急速な高齢化は世界でも特異な事で北欧での例は参考に出来ない事が多いと思っているので逆に日本人のきめ細やかな配慮をどう工夫するかでビジネスチャンスになり得ると思っている。

(3) 気付かされた事
皆 日本は地震が多く津波が来ることは知っていたが自分は逃げられると思っていた。りっぱな防潮堤もそれだけで完璧とは思っていなかったはずで 防災教育もそれなりにしっかりやっていたと思う。「てんでんこ」とは非常に重い言葉だ、家族のうち一人でも生き残るようにと家系を絶やさないために生まれ た言葉だろうが弱者を救済できないシステムだ、減災とは「てんでんこ」に至らないようにすることだろう。少なくとも「介護ホーム」を津波が想定される地域に設置する事は避けなければならない。

世の中のことはそれぞれが責任を持っていて自分がやることだけに責任を持てば良いと思わされてきた、自分に直接関係のあることしか関心を持たなくても良いかのように思わされてきたのではないのか?
昔からお上のする事に異議を唱えてはイケナイとされてされてきた文化がある。国や役人のする事に疑問を抱かずに中にはたとえ間違いに気がついても抵抗を想像し、中々指摘する勇気が起こらないものだ。

電 気使用量は文化のバロメーターとされ原発もクリーンエネルギーで安心でありコストもむしろ安いと思わされ、使う事を奨励されてきた。オール電化という電気 を潤沢に使用できる生活が羨ましいとさえ見えた。核燃料サイクルが閉じたシステムになっていない事等殆どの国民は知らなかったし、知っていても誰かが何と かすると思っていたのでは。

TPPって何?で改めて食料自給率の低さが認識された。円高で食料が安く確保できるから自給率は低くても良い という意見があるが世界中で食料不足で値上がりし飢えている人がいる。まして日本はこれからだんだん円安になる。水田で米を作らないのに金が入る減反とい う農政の失敗がその上塗りをする。現状では TPPなんてとんでもないが 農業が本当の意味で自由競争で力をつけTPPなんてなんでもないとしなければならない。漁村も農村もそれなりに生産性が上がった、その他に職場がなければ 人口が減るのは当然で過疎化した地域もある。休耕田にソーラーパネルをというのはやや唐突だが自立するための手段としては有望だ、元々反収を良くしようと努力した結果過剰面積になってしまったと考えられるからだ。土地を貸すだけでなく自ら事業主になって取組んでほしいと思う。

農村漁村では 高齢者比率が高く、仕事も賃仕事になりにくい。 ただし生活コストは押さえられるという、 物価が安く家の周りや海の近くでの自給自足に近い形でつつましく生活すればなんとかやって来れたという。その生活基盤を根こそぎ奪い去られた住民は住処を 確保するだけでも非常に大変なはず、高台に住宅地を造成し道路を建設しインフラを整備するまでにどの位の費用と時間がかかるのか見当がつかない。インフラ までは国や地方が整備しないと無理だろうがそれでも場所や代換費用に調整が必要だろう。「のど元過ぎて熱さ忘れる」という言葉通り4ヶ月しか経たないのにもう必死に忘れようとしている。費用的に無理だから浸水地域に住む等という選択肢を選ばせてはいけない。まずは仮設住宅に住んでいる間に自分の住処をどう するかじっくり考えて選んでほしい。

戦後成長の夢をずっと引き摺って来た。人口は減るのに経済成長が是とされ成長から成熟への切り替えが うまくできず 既にバランスは崩れて収拾のつかないほどに深刻化していた。それに気付かない振りをしていたのが今回否応無しに認めざるを得なくなった。真剣に現実に向か い合わなければならない。

3.11地震が起き、津波が襲ってきた。その被害状況を刻々と知らせる中に原発事故が起きた。東北のみならず日 本に住めなくなるかもしれないという緊張感で最初の数日が過ぎた。対応がまずいとかいろいろ批判はあるがまずはしのぎきった。この緊張感を持って対処すれば解決できない事はないと思う。

2011/05/19 個人住宅で津波対策を考えるのは無理か? 水密シェルタの可能性!

自然災害は様々な形で現れますが東日本大震災では津波での被害が強烈です。関東大震災では地震での建物の崩壊より火事での被害が強調されました。耐震性、耐 火性が重要視され強化されましたが津波に対しては防潮堤、防波堤が重用対策されています。建物では高台に住居を移すことが主体で一部津波避難所に設定され た4〜5階建て以上のものがありますが個人での対策を考慮したものは少ないようです。

地震が起きたら高台避難が常識でも逃げ遅れたらどうする? と考えて 今住んでいる住宅に何か工夫出来るか、建替えるなら、自家用緊急避難所は可能か検討します。

2011/05/09 震災から約2ヶ月が経とうとしていますが仮設住宅がまだまだ足りない!

 いまだに不便な避難所生活を余儀なくされている方が多い。仮設住宅の建設が遅れているためだ。予定戸数が多いのと避難所建設に条件とされる浸水区域でない平坦で、ライフラインが整っている公有地が少ない。

 仮設住宅に入居できるまでの用意された入居先が遠方の場合 中々避難所を離れられない人が多い。避難所生活は最初は劣悪と言われたが現在は食料や水、電気 など徐々にだが備わってきた。堪え難いのはプライバシー問題だろう。それさえ我慢すれば皆と一緒にいられる安心感と連帯感が支えになるかもしれない。未だ 帰らぬ人を待つ思いの人には土地を離れられない気持ちも強い。今の不自由さより遠方へ出て故郷を断ち切られる恐れが勝ってたとえ一時的とは言え離れがたく しているのかもしれない。

 校庭や公共の駐車場、運動場のように一ヶ所に多くの仮設住宅を建てることはできなくとも従来の住処に近い場所 での仮設住宅の建設が望まれる。従来の場所に近ければライフラインは確保し易い。震災時に裏山に逃げたとよく聞いた覚えがある。此処までは水がこなかった という場所は仮設住宅の建設候補地になれると思う。戸数が多くならずとも遠くにライフラインを引くより現実的かもしれない。

 仮設住宅の目的はいうまでもなく本格的な住宅に住むための一時的な住まいであり災害救助法で仮設住宅のは居住限度は2年とされている。
一般的に仮設住宅として建設されるのは公共の土地で、個人の土地へ建てることは避けるようだ。今回はそれらも見直されて実施されているようだがもっと柔軟に考えてもよいのではないのか。
 仮設住宅そのものについてもプレハブ一辺倒でなく現地の木材、大工さんを有効に活用した木質系の間取りの柔軟さも再検討してほしい。高齢者が多いので皆で 助け合うグループホームのような形の比較的広い仮設住宅や集会所も必要であろう。そうした場合にはプレハブにこだわらなくても良いのではないか。

 また日本の仮設住宅の写真を見た外国の人がその質の高さに驚いて住みたいといった話が話題になった。1戸あたり上限が272万円位というがこれを2年間で 廃棄する無駄も再考してほしい。家の再建が困難な、希望する住民に廉価で売却するとか何年間か臨時の市営住宅として使用するとかの再利用を考えてほしい。

   2011/04/11  今日 よい意味で大変気になることがあった。

東日本大震災復興構想会議の設置が決まったのだ。
メンバーは現在考えうる最善の方達と思う。
21世紀にふさわしい東北のみならず日本全体の進むべき道筋が示され
住民の血の通ったきめ細かいプランが練られることを祈る。

急がれる復旧、待ちこがれる復興
大震災から1ヶ月経った今もわずか2~3日前に起こった出来事のような記憶と惨状に圧倒されます。
被災された方々には心でお祈りするほかことばがありません。
直接的な被害を受けず、原発の危機に恐れながら 今自分に何ができるかを問うてきました。
復旧とはできるだけ現在の不自由な生活でなく一刻も早く落ち着いた生活が送れるようになることだと思いますが、
復興はこれからも希望を持ち、活力のある生活が送れるようになることでしょう。自然に打ちのめされた翌日に住み慣れた場所を離れずにふるさとを再び活性化させようと意欲にあふれたことばも多数聞かれました。

私なりに復興計画の困難さを想像しています。
(1)日本という自然環境での住まい方の限界を知る→自然とどう折り合うか?
(2)日本の周囲に地震津波を想定した20~30mの防潮堤を築くことが可能か?はたまた有効か?
(3)利便性とリスクをどう考えるか?防災設備と避難教育のそれぞれの限界を知ること。
(4)海岸沿いの平地には住区をもうけず、海抜20m以上の斜面に階段式の低層の集合住宅をもうける案。
  *イメージ的には神戸の斜面の集合住宅、あるいはイタリアの海岸や山岳地の集落。
(5)地震津波の怖さを理解してのふるさと回帰(従来住んでいた土地、場所への執着)をどう考えるか?
(6)津波が来ることを想定して平地に人がいる前提で強固な人命救助タワーを必要箇所に点在させる案。
  *200人規模/1週間の食料備蓄/水/トイレ完備/宿泊可能/1ヶ所
(7)海岸沿いの4階に満たない公共の建物には強固な避難棟をもうける。上記案の補完
(8)政府指導による住区制限、区画整理等での住民意識との乖離の懸念←生活支援とインフラ投資とのバランス
(9)自然災害時は人命救助優先だが、どこまで資産確保を考慮するか?
(10)耕作地の件_海水に浸かった土、ヘドロ除去、客土等の処置
   *一部低地のオランダ化の案←堤防を巡らす案
(11)漁船の係留の問題→陸地への移動により被害の増大→防護ネットは有効か?
(12)コンテナ等大型構造物の陸置きの問題→従来は重量物ということで置くだけ→固定必至(留置きに転換)
(13)津波の襲来予想される低地の(完璧な防潮堤はあり得ないとの前提で)地区の建造物は従来の耐震性の他に上物を地面に固着させる強度を持たせるべきか?。
   *残存した物はコンクリート建造物と鉄骨のみとなった建物が多いことから。
(14)これらとは直接関係ないが車に乗って流されても助かった例と閉込められた例があった。気密性を保って長時間水に浮くメリットが有る、積極利用すべきと思う。

*原発問題は関連はしているが全く別種であり別途検討したい。

 2011/04/02 震災のリポートで最近気になることがあります。

それは避難所でお年寄りが元気のないことです。確かに疲れているのでしょう、夜寒くて良く眠れず昼間も横になっていたいのかもしれません。
 あまり出歩きたくないのかとも思いましたが、周りの様子を見に行きたいけど車がないので歩けないという人がいた。外へ出かけたいのに我慢しているのかもしれない。
 普段は車を使っていたのかもしれないが今は無い。歩行車や杖があったら少しは楽になるのに杖が無くなったことなどまだ言えないのかもしれない。杖などまだ 支援物資には入っていないと思うのだが、支援物資は地元の要望が無いと送らないとのアナウンスが徹底しているなら老人たちはまだまだ遠慮しているのかもしれない。
 
現場では元気な人優先というような雰囲気になっていないでしょうか?
 普段なら元気の無い人、小元気の人でもそれぞれに存在感があったはず。
今はなるべく動ける人の邪魔にならないようにとじっとしているような気がしてならないのだが。
復興は総力戦で長期戦だ、みんながそれぞれに力を発揮できるようなシステム作りがされるはずだが、何よりみんなが動ける雰囲気作りが必要だと思う。